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【MPO VIETNAM Co.,Ltd.】ベトナムハノイ(牛タン居酒屋 雅 、俺ん家、娘ん家)代表の広瀬 雅治社長へインタビュー!ベトナム撮影コーディネートへかける思い
こんにちは。
ハノイで駐在生活を送りながらハノイの有益情報を紹介している「人生ユタカ」です。
本日私がおりますのは、リンランエリアのファンケビン通りにある牛たん居酒屋 雅さん(2Fは俺ん家、3Fは娘ん家)に来ております。
実は本日特別に牛たん居酒屋 雅さんを経営されている、MPO VIETNAM Co.,Ltd.代表の広瀬 雅治社長にインタビューさせていただくことになりました。
広瀬 雅治社長とは?
▼広瀬 雅治社長とは?
・テレビ業界で約30年以上制作会社(コーディネーター会社)を経営
・ミヤビプランニングオフィス代表
・MPO VIETNAM Co.,Ltd.代表
・ベトナムハノイの飲食店(牛タン居酒屋 雅 ・俺ん家 ・娘ん家)を経営
広瀬社長はテレビ業界で「ロケーションコーディネーター」の会社を30年経営されています。
ハノイには多くの成功されている方がいらっしゃいますが、広瀬社長もそのお一人です。
今回、インタビューの打診をさせていただいたところ、特別に許可をいただき実施させていただくかたちとなりました。
では早速お店に行ってみましょう!
「牛たん居酒屋 雅」店舗前に到着!
こちらが広瀬社長の店舗牛たん専門店「雅」さんです。
住所は上記となり、1つのビルの中に3店舗が運営されているかたちとなります。
Information
- 牛たん専門店「雅」:1F
- 和風ガールズ酒場「俺ん家」:2F
- 女性専用カジュアルスナック「娘ん家」:3F
なお、3店舗とも廣瀬社長が経営されています。
牛たん専門店「雅」:1F
1Fの「雅」は、ハノイ唯一の牛たん専門店です。
日本の居酒屋のようなどこか懐かしさを感じさせる落ち着いた空間です。
17:00〜21:00の間は飲み放題メニューもあり、お一人様からでも可能です。(90分:19万8000VND)
お酒の種類も豊富に取り揃えています。
詳細はこちらの『Walking Vietnam』ページから確認可能です。
https://walking-hanoi.net/magazine/ja/eating-and-drinking/gyutanizakaya-miyabi/
お店のFacebookはこちら。
https://www.facebook.com/gyutanmiyabi/
和風ガールズ酒場「俺ん家」:2F
2Fの和風ガールズ酒場「俺ん家」は、ダーツや無料カラオケが楽しめ、安く気軽に飲める和風テイストのガールズバーです。
2021年11月にオープンしました。
ガールズバーでありながら各種ボトルが居酒屋と同じ値段で提供されています。
※また、チャージ料金1時間で氷や水、ソフトドリンクなどが割り放題。
ボトルキープがある方は1階の牛たん居酒屋「雅」の料理が10%OFFで食べられます。
お得な価格でガールズバーを楽しみたい方はぜひ「俺ん家」をチェックしてみてください!
詳細はこちらの『Walking Vietnam』ページから確認可能です。
https://walking-hanoi.net/magazine/ja/entertainment/orenchi/
お店のFacebookはこちら。
https://www.facebook.com/Orenchimiyabi/
女性専用カジュアルスナック「娘ん家」:3F
3Fの「娘ん家」は今年4月にOPENしたばかりの本格カクテルが10万VNDから飲める、ハノイ初の女性専用カジュアルスナックです。
女性がプライバシーを守りながら飲める場所をテーマ。
女子会やサークルの二次会などで利用するのに最適なお店です。
バーテンダーが作るカクテルを飲みながら、毎日更新されるカラオケで楽しめるお店となっています。
詳細はこちらの『Walking Vietnam』ページから確認可能です。
https://walking-hanoi.net/magazine/ja/entertainment/women-only-snack-musume-atashinchi/
お店のFacebookはこちら。
https://www.facebook.com/Atashinchibar/
広瀬社長へインタビュー開始!
3店舗の開始経緯から過去のご経歴まで広瀬社長へ深掘りインタビューをしてみました!
― 広瀬社長さんはベトナムへ来られる以前、日本ではどのようなご経歴を歩まれてこられたのでしょうか?
高校卒業後は町田の家電量販店(親族の会社)で2年働き、その後師匠から「フィルムをやってみない?」とお誘いを受けたのをきっかけに軽いノリで映像制作の世界に入ったのがきっかけでした。それから今までずっと現在の制作業界です。
18〜19歳の頃ちょうどバブルがはじけた時でした。
20〜23歳で転職し、最初は師匠のもとについてフリーで映像制作開始しました。
その後、23歳の時に起業して制作部集団「ミヤビプランニングJAPAN」を創業しました。
当時は何でも良かったのですがとにかく社長になりたかったんです。とにかく頑張れば若くても社長になれるだろうと考えていました。
最初は3名からのスタートで開始し、(求人で1名、その方の友達もう1名紹介)アルバイト含め、1チーム3〜5人で現場を動かしていました。ただ、毎回人集めをしなければならず、毎回新しい人で現場を回していました。
バブルがはじけた後だったので、業界の中ではCMにかけられる予算が30〜40%ほど削減された時代でした。
それまではロケはセットなどある室内がメインでしたが、経費削減のために外でやろうという動きになってきていました。
しかし、それまで業界では室内が一般的でしたので、現場は慣れていません。そこで制作現場にはコーディネーターという役割が必要でした。
それからCMコーディネーターとして、FAX営業から開始しましたが、この仕事が当時の時代のニーズと合っていました。
広瀬社長のご経歴
- 20〜23歳:師匠のもとについてフリーとして映像制作開始。
- 23〜24歳:「ミヤビプランニングJAPAN」を創業。3名でスタート。
- 〜30歳くらいまで:CMコーディネーター。
- 30〜35歳:TVドラマ(TBS)の制作請負。2002年頃。10〜15人の社員。
- 35〜40歳:各局各制作会社でドラマ制作。「あの人は今」などの再現VTRを担当。
- 40〜47歳:経営者教育サポート
- 47〜49歳:ベトナム移住。3店舗を経営。
― TV業界にはどのような流れて進まれたのでしょうか?
TV業界へ入ったのは、仕事を受けていた先から未払いが2件発生したのと、親しくしていた先輩がTV業界に移っていて、その方からの紹介がきっかけです。「TV局→制作会社→ミヤビプランニング」という流れで仕事をいただいていました。
CMコーディネーターでは色々な仕事をしていたのですが、あるときに制作会社からロケで使うスタジオ業務のために、不動産の空き物件を借りてきてほしいという案件があり、レンタルしてたった2日の仕事で1ヶ月分の家賃と手数料をいただくことがありました。「あれ?これってもしかしてビジネスになるんではないか?」ここにビジネスチャンスを見出し、居抜きの一軒家を借りて交渉し、ロケでスタジオとして使いたい制作会社に貸し出しを行うビジネスモデルを考えました。
当時CMコーディネーター会社を経営し、現場に立っていましたが、40歳くらいには現場を離れようかなとも考えていました。
ただ、再婚した相手に1〜2歳の子供がいたので、18歳までは育てたいという思いから引退の予定は伸びました。(笑)
そのため、会社の経営者教育など40〜47歳くらいまでサポートにまわり「50歳までには引退しようかな」と変更となりました。
― TV制作の現場は非常に過酷だと聞きますが、過去とても大変であった(今でこそ語れるような)何かエピソードがあれば教えていただくことは可能でしょうか?
そうですね。スタジオのセットの仕事で3日間一睡もしなかったことがありましたね笑。
朝の3時に仕事が終わり、朝の5時に出発みたいなのが7日〜14日続いたり。車に乗って家にも帰らずという日々を1ヶ月続けたこともありました。
― 凄まじいですね!それでも30年も継続できたやりがいやモチベーションは何だったのでしょうか?
モチベーションはとにかく新鮮な刺激を得られるという点でしょうかね。
サラリーマンを最初10代の頃に2年やっていたのですが、全くあの頃には感じることが出来なかった刺激を得られました。
ロケでは毎回場面や風景や場所も変わりますので飽きません。
そして、色々な方に出会えました。例えば、市役所の人や漁師さんなど、普通にサラリーマンをやっていたら絶対に会えない人たちですね。
人とのつながりが好きだったということもあります。日本にいる時は全国各地にいるお世話になった方々に会いに行ったりもしましたよ。
あとは、制作でテロップに自分の名前がエンドロールで出るのですが、それを見て親が喜んでくれて自慢してくれたときなどは嬉しかったですね。
本音を話すと現場を終える度に毎日辞めたいと思っていましたが(笑)、社員を抱えてしまったため辞められなかったですね。長くやると辞められなくなります。
以前、連続ドラマの撮影があった際には24時間5ヶ月拘束なんていうときもありました。
ただ、終わったら1ヶ月休みなど長期休みも取れたのでそこでバランスがとれていたかもしれませんね。
また、ロケで海外へ行けることもやりがいのひとつでした。
例えば、韓国や台湾やタイなど・・・旅行がもともと好きだったので色々な国でロケハンもできました。
あとは有名人の方に慕われたり、ゴルフに行ったり、ご飯を食べたりしたときなどはやりがいを感じます。
― ちなみにどのような経緯でベトナムに移住されたのでしょうか?
きっかけは「友人の存在」と「ベトナム海外コーディネーター」の可能性です。
経営者を育て、やることが無くなったときに嫁の「海外にでも行けば?」のひと押しがあったのが大きかったですね。
もともと海が好きで結構タイやフィリピンや台湾やベトナムなどを点々としていたのですが、友人がベトナムにいるということを聞きました。
そこで友人を訪ねて2019年春に初めてベトナムに行きました。
当時はホーチミンが首都だと思っていたくらい何もベトナムのことはわかっていない状況でした。
その後、ベトナムいいなあと思っていた矢先、最初は飲食店をやろうかなと思っていたのですが、現地で思ったのは想像以上に「海外コーディネーター」という仕事がまだまだ確立していないということに気づきました。
例えば、アジアの近隣諸国(タイやフィリピンや韓国)でネット検索すると「海外コーディネーター」に関する情報はヒットするのに、ベトナムだけヒットしなかったんです。ガチガチでベトナムに特化してやっているコーディネーターが見当たらなかったのですね。
そこで、ベトナムで海外コーディネーターをしながら移住しようという目的が生まれました。
それからは、2ヶ月に1回、遊びと視察で来るようになりました。
物価も安いですし日本食のレベルも高いのもありがたいですからね。
― なるほどですね。ちなみにそこから牛タン専門店を含む3店舗出店まではどのような経緯だったのでしょうか?
実は私は飲食店経営の経験が無かったので、最初に立ち上げの時に草野球チームの後輩のリョウさんという友人に(1年)手伝ってもらい、見よう見まねで技を教えてもらいました。彼もベトナムで何かをやりたくて来ていました。
また、なぜ牛タンだったかというと、実は草野球チームに仙台出身が多く、その関係で頻繁に仙台に行くことが多く、おいしい牛タンを食べる中で「そういえばベトナムに無いな」と思ったきっかけで牛タンでやろうと決めていました。
ベトナムで実際に調べてみるとベトナムで材料も手に入って仕込みもできることがわかったのも大きいです。
また、ベトナムのことは何も分からなかったので、昼間の仕事の延長線で居酒屋を作ったというのもあります。
つまり、「コミュニティの場」を作りたかったというのが本当の理由です。
自分で色々なお店に足を運ぶよりも場所を作って呼んだほうが色々な人が来ると思いました。そこでできたコミュニティからきっとコーディネーターへの仕事にも繋がっていくだろうと考えていました。
最初は2020年3月後半にスタートオープンして、コロナの影響で帰れなくなり、4月中旬にデリバリーをスタートします。
また、開業当時は24時を超えるとほとんどのお店はやっていなかったので、ローカルのお店に行っていました。
3軒目、4軒目まで飲める所がなかったので、ここが戦える場所だと思いました。それだったら自分でやっちゃおうと思い立ち、朝までやることになります。(あとで色々と法律に関して知るんですがね笑)
― ありがとうございます。今後ベトナムでどのようなことを成し遂げたいなど目標はございますでしょうか?
今年2023年の12月でちょうど50歳になります。
今後はベトナムにはまだない「日越映画祭」というのを日越テーマでやってみたいですね。
5分のショートムービーなど。ここで優勝したらカンヌ映画のようなチャンスがある映画祭を作りたい。
日本の監督にチャンスを与え、若いプロデューサーを育てたいですね。そのためにはスポンサーを集めなければなりません。
それがベトナムにいる意味と思っています。
今後は2〜3年したら奥さんもベトナムに来る予定ですので、半永住が目標です。
1年の半分は日本、半分はベトナムみたいな生活にもなるかもしれません。
あとは5年位を目処にハノイから離れたいということも考えています。
クイニョンやフーコック島などで、昼はカフェを運営して、ダイビングショップを運営などいいですね。
― インタビューありがとうございました!それでは最後に今後「ベトナム海外コーディネーター」についての一言お願いできますでしょうか?
今ベトナムには現場上がりのコーディネーターがいないので、これはチャンスだと考えています。
海外ですので2歩先や3歩先が読めません。
飛行機や場所やホテルなどのコーディネートができるよう、まずは第一歩として基盤づくりをしていきます。
弊社にコーディネートを依頼することで、
Information
- ロケ場所をアテンドできる
- 監督のロケハンが可能
- 人件費を安くできる(制作部の視察費用がなくなる)
こういったメリットがありますので、ぜひご興味ある方はお気軽に私までご連絡下さい。
― 本日はありがとうございました!
ベトナムでの撮影コーディネートのお問い合わせはMPO VIETNAM Co.,Ltd. へ!
■社名:MPO VIETNAM Co.,Ltd.
■業種:ベトナム及び近隣諸国の撮影コーディネート業、ベトナム国内における個人旅行のツアーアテンド業
■代表:広瀬 雅治 HIROSE MASAHARU(現在ベトナム・ハノイ常駐)
■本社所在地:39 Phan Ke Binh,Cong Vi,Ba Dinh,Ha Noi
■電話:(+84)936-334-760(担当:広瀬 ベトナム)
https://mpovietnam.net/profile/
▼ベトナムコーディネートに関するお問い合わせはこちら
■電話:(+84)936-334-760(担当:広瀬 ベトナム)
取材日:2023/4